魔性の子における出来事
「事故が七、仮病が八」
後藤はそれだけを言ったが、それで充分用は足りた。
教室に行くと、築城と五反田を含め、わずかに五人の生徒が待っていた。二週間担当してきたクラスとの、別れの光景がそれだった。
魔性の子 , p.254
『魔性の子』における出来事を、発生した順に基づいておおまかにまとめた。なお、詳しい日付は分からないが、これらは9月に起きた出来事である∗1。
日数 (曜日) |
出来事(時間帯∗2・場所) |
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1日目 (月) |
始業式∗3。教育実習開始日。
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2日目 (火) |
通常授業開始。∗6 |
3日目 (水) |
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4日目 (木) |
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5日目 (金) |
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6日目 (土)∗16 |
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7日目 (日) |
体育祭準備のため学校は開いている。研究授業のリハーサル日。∗19
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8日目 (月)∗23 |
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9日目 (火)∗26 |
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10日目 (水) |
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11日目 (木) |
体育祭開催予定日。∗34
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12日目 (金) |
教育実習研究授業がある日。∗63
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13日目 (土)∗81 |
教育実習最終日。午後に打ち上げを予定するも後日に延期。∗81
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14日目 (日)∗87 |
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15日目 (月) |
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16日目 (火) |
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17日目 (水) |
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18日目 (木) |
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19日目 (金) |
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20日目 (土) |
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21日目 (日) |
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22日目 (月)∗133 |
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23日目 |
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註釈1~151
∗1
魔性の子 p.107
体育祭開催予定日である11日目までは確実に9月の出来事である。12日目以降は不確定だが、1日目に始業式が行われているので、一般的な学校の日程を考慮すると全て9月中の出来事であろうと推測される。
∗2
授業を基準に時間帯を表記する場合、授業の単位は小説中の表記に準拠する。
∗3
魔性の子 p.19
∗4
魔性の子 p.22
∗5
魔性の子 p.27
∗6
魔性の子 p.28
∗7
魔性の子 p.35
∗8
魔性の子 p.36
∗9
魔性の子 pp.40-44
∗10
魔性の子 pp.42-43
∗11
魔性の子 pp.45-47
∗12
魔性の子 pp.50-51
∗13
魔性の子 pp.56-57
∗14
魔性の子 pp.53-54
∗15
魔性の子 pp.59-60
∗16
魔性の子 p.64
∗17
魔性の子 pp.64-68
∗18
魔性の子 pp.67-68
∗19
魔性の子 p.69
∗20
魔性の子 pp.70-73
∗21
魔性の子 pp.79-81
∗22
魔性の子 pp.84-90
∗23
魔性の子 p.99
∗24
魔性の子 pp.102-106
∗25
魔性の子 pp.108-111
∗26
魔性の子 p.118
∗27
魔性の子 p.112
∗28
魔性の子 pp.111-117
∗29
魔性の子 pp.119-121
∗30
魔性の子 pp.118-120 および pp.123-124
∗31
魔性の子 p.123
∗32
魔性の子 pp.127-130
∗33
魔性の子 p.138
後の五反田の言(p.247)で、6組の欠席者は3人と分かる。
∗34
魔性の子 p.137
∗35
吊るし上げ騒動の際に暴行を受けて失神した広瀬が目覚めた場面(p.143)で、十時が「じきに昼」と言っているので、騒動は午前中にあったと分かる。
∗36
魔性の子 pp.138-142
∗37
魔性の子 pp.140-141
∗38
魔性の子 pp.146-147
∗39
魔性の子 p.147
∗40
魔性の子 p.147-148
∗41
魔性の子 pp.153-157
∗42
魔性の子 pp.160-162
∗43
魔性の子 p.167
∗44
魔性の子 pp.170-171
∗45
魔性の子 pp.176-178
∗46
魔性の子 p.204
∗47
魔性の子 pp.188-189
∗48
魔性の子 p.186
∗49
魔性の子 pp.194-196
∗50
魔性の子 pp.198-201
∗51
魔性の子 p.301
∗52
魔性の子 pp.218-219
∗53
魔性の子 p.203
∗54
魔性の子 p.201
∗55
魔性の子 p.237
∗56
魔性の子 pp.207-211
∗57
魔性の子 pp.211-212
∗58
魔性の子 p.308
∗59
魔性の子 p.310
∗60
魔性の子 pp.326-329
∗61
黄昏の岸 暁の天 pp.372-377
∗62
高校の廊下にあった「何かが這ったみたいな泥のあと」が、廉麟の使令が泰麒の気配を発見した際に付いたものと仮定して時系列を整えた。
∗63
魔性の子 p.221
∗64
黄昏の岸 暁の天 p.385
∗65
魔性の子 pp.296-297
∗66
魔性の子 pp.219-220
∗67
魔性の子 pp.233-234
∗68
魔性の子 p.217
∗69
原作中では「五時間目」(p.221)の研究授業を終えた広瀬と後藤が準備室で会話をした後に「四時限目の授業中のはず」(p.230)の生徒が準備室に来る場面がある。この後、「授業終了のチャイムが鳴って」(p.235)から中庭に出た広瀬が「弁当箱を膝の上に乗せていた」(p.242)築城と五反田と会っている。また、4日目の描写において昼休みのすぐ後に5時間目がくる記述がある(p.40およびp.44)ことから、4時間目→昼休み→5時間目という時間割になっていると推測できる。
これらから、研究授業は「五時間目」ではなく1~3時間目のいずれかであったと考えられる。しかし精確な修正ができないため、表中では原作に則り5時間目と記載した。
∗70
魔性の子 p.223
∗71
魔性の子 pp.229-235
∗72
魔性の子 pp.230-235
∗73
魔性の子 pp.235-241
∗74
魔性の子 pp.235-237
∗75
魔性の子 pp.243-245
∗76
魔性の子 pp.246-247
∗77
魔性の子 p.229
∗78
魔性の子 p.252
∗79
魔性の子 pp.249-253
∗80
魔性の子 pp.257-258
∗81
魔性の子 p.254
∗82
魔性の子 pp.255-258
∗83
魔性の子 p.259
∗84
魔性の子 p.260
∗85
魔性の子 p.265
∗86
魔性の子 pp.265-266
∗87
魔性の子 p.266
∗88
魔性の子 pp.267-271
∗89
魔性の子 pp.271-272
∗90
魔性の子 pp.273-277
∗91
魔性の子 p.295
∗92
魔性の子 p.290
∗93
魔性の子 p.293
∗94
魔性の子 pp.299-300
∗95
魔性の子 pp.297-301
∗96
魔性の子 p.302
∗97
魔性の子 pp.302-307
∗98
魔性の子 p.307
∗99
魔性の子 pp.308-309
∗100
魔性の子 pp.311-312
∗101
魔性の子 pp.312-313
∗102
魔性の子 p.313
∗103
黄昏の岸 暁の天 pp.390-397
∗104
魔性の子 p.315
∗105
魔性の子 pp.316-317
∗106
魔性の子 pp.321-325
∗107
魔性の子 p.330
∗108
魔性の子 p.357
∗109
魔性の子 pp.330-333
∗110
魔性の子 p.333
∗111
魔性の子 pp.339-342
∗112
魔性の子 p.343
∗113
魔性の子 pp.344-346
∗114
魔性の子 pp.349-354
∗115
魔性の子 pp.355-356
∗116
魔性の子 pp.356-362
∗117
魔性の子 pp.359-362
∗118
魔性の子 pp.362-363
∗119
魔性の子 pp.364-369
∗120
魔性の子 pp.370-372 および p.375
∗121
魔性の子 pp.375-376
∗122
魔性の子 p.376
∗123
魔性の子 p.377
∗124
魔性の子 pp.377-379
∗125
魔性の子 p.380
∗126
魔性の子 pp.385-388
∗127
魔性の子 p.389
∗128
黄昏の岸 暁の天 p.398
∗129
廉麟が陽子たちに報告したときの言い回しから、使令が泰麒を海辺で発見し、廉麟が海辺に行き、海辺から泰麒の気配を辿って十時のマンションを見つけ出し、その事を報告するまで、ある程度の時間が経っているものと推測できる。また、『魔性の子』において使令(異形のものたち)が泰麒を海辺で見つけたのは、20日目の夜のことであると分かっている。さらに、『黄昏の岸 暁の天』で廉麟が泰麒を見つけたと報告したのは、尚隆が蝕を起こす前日の、21日目のことである。
これらのことから、20日目の夜に使令が泰麒を発見し、日付が変わった21日目に、廉麟が陽子たちに報告したものと判断した。
∗130
魔性の子 p.391
∗131
魔性の子 pp.392-393
∗132
黄昏の岸 暁の天 p.397
∗133
魔性の子 p.394
∗134
黄昏の岸 暁の天 p.400
∗135
黄昏の岸 暁の天 pp.399-400
∗136
魔性の子 p.393
∗137
魔性の子 p.396
∗138
魔性の子 pp.398-399
∗139
魔性の子 pp.400-401
∗140
魔性の子 p.402
∗141
魔性の子 p.403
∗142
魔性の子 pp.406-409
∗143
魔性の子 pp.411-412
∗144
魔性の子 p.412
∗145
魔性の子 pp.413-415
∗146
魔性の子 pp.418-419
∗147
黄昏の岸 暁の天 pp.404-405
∗148
魔性の子 pp.429-431
∗149
黄昏の岸 暁の天 pp.405-406
∗150
魔性の子 p.431
∗151
黄昏の岸 暁の天 pp.406-408
上の表では、『魔性の子』だけでなく『黄昏の岸 暁の天』の内容も日付つきで併記していますが、この日付をどのように推測したのか、改めてお話しましょう。
『黄昏の岸 暁の天』には、玉葉と会談した陽子と李斎が蓬山から戻るのにどれだけ時間がかかったのか、明確な描写がありません。ですので、半嗣が泰麒の気配を発見してから陽子たちが玉葉と会談するまでの出来事の日付は、あくまでイタチ兄弟の推測です。この推測は、註釈62にも書いた通り、『魔性の子』に描写された「磯のにおい」∗152がする「何かが這ったみたいな泥のあと」∗153は泰麒の気配を発見したときの使令たちの痕跡である、という仮定に基づいています。
この考えをもとに出来事を当て嵌めていくと、陽子・六太・李斎が蓬山に到着したのが金波宮を出発してから4日目∗64であるのに対し、陽子・李斎が蓬山から金波宮に帰ったのは、玉葉と会談した日から起算して6日目になります。
言葉尻だけ捉えると、行きに比べて、帰りは2日も余分に時間がかかっているように見えます。しかし帰りは、玉葉との会談が終わった後、李斎と飛燕に休息を取らせるため出発を遅らせた可能性もあり、さらに、出発した後も移動スピードが落ちていたせいで、帰還日がずれ込んだ可能性も考えられます。
そのため、行きよりも帰りに余分に時間がかかるのは不自然ではなく、会談から6日目に到着したのも妥当な範囲で合理的な理由付けができるものと考えました。
註釈129にも書いた通り、使令たちが海辺で泰麒の姿を視認してから、廉麟が十時のマンションを突き止めたことを陽子たちに報告するまで、ある程度の時間が経過していると読みとれます。イタチ兄弟はその時間経過の間に、日付が変わって21日目に突入したものと考えています。この点は兄弟の共通見解なのですが、経過した時間の程度については意見が割れています。
イタチ弟は「海辺から十時のマンションまで10分くらいの距離って読み取れるし∗154、廉麟はそれなりに手早く居場所を突き止められたけど陽子たちに報告するまでに結果として日付が変わっちゃった」っていう廉麟おしかったね派。
イタチ兄は「海辺にあった痕跡からマンションを探し当てるまでメチャクチャ時間がかかって余裕で日付を超えていった」っていう廉麟ぽんこつ派。
イタチ兄「だって麒麟には土地勘もカーナビもないんやぞ」
イタチ弟「目の前に気配のナビがあるやろがい」
溝が埋まることはありませんでした。
∗152
魔性の子 p.234
∗153
魔性の子 p.233
∗154
魔性の子 p.383