集落・建物


長さ・広さの単位

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「廬は田圃の中じゃから、農閑期にいても仕方がない。それで冬には二十四家が里に戻ってくる」
 陽子は微笑んで、少し耳を澄ませた。広い里家の表のほうから、賑やかな声が聞こえてくる。女が集まって糸を繰ったり機を織ったりする房間、男たちが集まって筵を編んだり籠を編んだりする房間。廬に出ていた間のことを話し合う声。
風の万里 黎明の空(上), p.234

 里には最低限、里府と里祠∗1、里家と24軒の家が備わっている∗2。それらが郭壁と呼ばれる高い塀∗3および、郭壁の内側に巡らせた環途と呼ばれる道に囲まれている。なお、里府・里祠・里家は里の北にまとめて配され、その前を横切って東西方向に大緯と呼ばれる広い道が敷設され、南の郭壁にある里閭(もん)と里祠とをつなぐように南北方向に大経と呼ばれる広い道が敷設される。∗4
 街はこの里を中核に作られる∗5。里を基にして肥大し、規模を大きくし、発展していくのである。

 里府の中には、役所と学校がある。里にある学校を小学という。∗4
 里祠の中には3種の祭場がある。3種の祭場は、中央に里木および天帝と西王母を祀る里祠が、西に土地神と五穀神を祀る社稷(しゃしょく)が、東に祖霊を祀る宗廟(そうびょう)が配置される。これらは正式には「社」と総称されるが、住民の信仰は子供や家畜を授けてくれる里木ひいては里祠に集中するため、総称も「里祠」と言い習わされている。∗4
 里家は、基本的に4つの建物から構成される。集会所や共同作業場の役割を果たす里会(りかい)、里の住人や里を訪ねてきた客人のための客庁、そこに付随する庭園と書房(しょさい)、孤児や老人の居住施設である里家、の4つである。これらを総称して里家と呼ぶ。∗6
 里家の構造については中国の建築様式のひとつである「四合院」を基にしていると考えられる。四合院の詳細については後述する

 里の運営は、里宰と閭胥(りょしょ)の2役によって執り行われる。里宰は里府を司り、里祠の祭主もまた里宰が務める。閭胥は里宰の相談役として里の最長老が就き、里家の主および小学の教師も務める。この2役には、基本的にその里の者が就く。∗7
 なお、里祠の祭主は里宰が務めるが、里祠や里木の管理は閭胥が行う。∗8

 里にある一般的な家の造りや規模については、作中から詳細をうかがうことができない。だが、国や街の生活水準や気候風土により、その様式・様相はいくらか異なると推測される。
 作中で確認できた、里の家について把握できる例を以下に列挙していく。

  • 壁は白い漆喰で、屋根は黒い瓦屋根(巧)∗9
  • 豊かな家には暖炉があったり、さらに豊かな家だと(こう)(暖炉から発生した暖気を壁や床下に通して部屋自体を暖める設備)があったりする(慶にはそこまで豊かな家は少ない)∗10
  • 窓に玻璃が入っている家はごくわずか(慶)∗10
  • 板戸がついた窓の内側に紙を張っている(慶)∗10
  • 窓に板戸が備わっているが、冬でも開け放たれている(漣)∗11

∗1
白銀の墟 玄の月 (二) , p.281

∗2
風の万里 黎明の空 (上) , p.233

∗3
月の影 影の海 (上) , p.93 において、巧の配浪の郭壁は4m近い高さがありそうだと書かれている。

∗4
風の万里 黎明の空 (上) , p.319

∗5
風の万里 黎明の空 (上) , p.194

∗6
風の万里 黎明の空 (上) , p.223

∗7
風の万里 黎明の空 (上) , p.222

∗8
白銀の墟 玄の月 (一) , p.232

∗9
月の影 影の海 (上) , p.94

∗10
風の万里 黎明の空 (上) , p.197

∗11
華胥の幽夢 , p.32

家(四合院)∗12

四合院(髙村雅彦著『中国の都市空間を読む』より引用)図1 四合院∗13  作中の描写によると、里家や大きな民家の構造は、中国の伝統的な建築様式「四合院」に通じる。この様式は紀元前10世紀前後にはすでに確立しており、3,000年を経た現在もなお受け継がれている。
 四合院は四合房とも呼ばれる様式で、北部中央に「正房/堂屋」と呼ばれる主屋を配し、その前にある「院子」と呼ばれる中庭を挟んで東西に「廂房」と呼ばれる脇部屋を向かい合わせて配し、正面に「倒座」と呼ばれる門長屋を配した平面配置である。院子には、風水で悪気が淀みやすいとされる四隅を浄化するために樹木が植えられ、結果、十字状の空間が生まれる。住民はこの十字状の中庭空間か、もしくは各棟の前面1間(つまり院子の周囲)に設けられた吹き放し廊下を通って各棟を移動する。「大門」と呼ばれる入口は普通、風水に従って南東部に配され、開口部の突き当りには魔除けの意味も持つ「照壁/影壁」と呼ばれる目隠し壁が立てられる。
 正房の間口は通常3間で、中央が広間(堂)として使われ、広間の両脇の部屋もしくは正房の両脇に付設された「耳房」と呼ばれる部屋が寝室として使われる。倒座は接客空間として使われる。また院子に「中門/二門/垂花門」と呼ばれる門を設けることで空間を南北に分割し、南側を「外院/前院」、北側を「内院」とする場合もある。この場合、外院は接客空間、内院は私的空間となり、一般の来客は中門の位置までしか立入りが許されない。私的空間の手前にある中門や、街路に面した大門は、訪問客や通行人に対する家の顔と位置づけられて家格を表す装置とされる場合もある。
 基本である4棟のうち倒座を省略したものは、とくに三合院と言う。逆に、堂屋を挟んで院子を連ねて南北方向に部屋を増やす場合もあり、大邸宅に至っては院子が7,8つ連なるもの、それに庭園を加えたものなどもある。その他、一列ではなく並列式に院子を連ねるものもある。
 南北に多層的に展開する配置の場合、先述のとおり手前が接客空間に当てられる。また、儒教の男女・長幼の序列に従って空間が当てられ、最奥つまり最北部は女性の空間とされる。

∗12
髙村雅彦 , 世界史リブレット8 中国の都市空間を読む , 山川出版社 , 2004年 , pp.20-24 、および、 布野修司 , 世界住居誌 , 昭和堂 , 2011年 , pp.48-49 を主要参考文献としてまとめた。

∗13
髙村雅彦 , 世界史リブレット8 中国の都市空間を読む , 山川出版社 , 2004年 , p.23 にある「四合院」図を引用した。

 作中にある、固継の里家が窮奇に襲われた場面の「蘭玉は跳び退り、桂桂の手を引き、遠甫に抱えられるようにして正堂へと走った。(中略)正堂の扉を閉め、院子に駆け降りた。(中略)中門へと走廊を走り、石段を駆け降りて前院に出る。(中略)大門の軒下まで駆け寄ったとき、桂桂がひっと声を上げた。思わず桂桂の視線を追って蘭玉は振り返る。中門の屋根で身を屈めた窮奇の姿が目の中に飛び込んできた。」∗14という描写や、明郭の反乱勢力の拠点に関する説明の「院子を囲んで四つの堂屋が並び、院子の南東角に大門がある。家の主人はいちおう桓魋のようだった。彼が正房に住んでいて、祥瓊はその彼の客分ということで、堂を挟んだ反対側の臥室を借り受けていた。」∗15という描写が、四合院の造りと合致する。

∗14
風の万里 黎明の空 (上) , pp.199-200

∗15
風の万里 黎明の空 (下) , p.146

 なお原作中の描写を踏まえると、里家の構造は、図1にあるような典型的な四合院とは異なると考えられます。アニメを見ても、固継の里家は庭も建物も複数あり、より複雑な配置になっていることが確認できます。


朝廷

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王宮

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