世界観


十二国の世界・蓬莱・崑崙

「そう。あっちとこっちは、本来混ざってはいけないもんだからな」
月の影 影の海(下), p.218

 『十二国記』の物語は、現実とは異なる世界を舞台としている。そこは、タイトルから推測できる通り、12の国家から成り立っている。また、十二国の世界の人々は、いわゆる現代日本に当たる「蓬莱」と、中国に当たる「崑崙」を異世界として認識している。

十二国の世界

 十二国の世界について、特定の名称は無い。作中で「常世」と称する記述が確認できるが、この記述は『東の海神 西の滄海』の序章にある2箇所しか確認できない。一方で「こちら」という表現は散見され、「〔この世界に〕名前なんかねえ」∗1という発言も確認できる。そのため、『東の海神 西の滄海』では演出の一環として「常世」という単語を置いただけであり、十二国の世界には名前が無いと考えられる。

∗1
月の影 影の海 (下) , p.39
〔〕内は筆者による補足。

蓬莱

 十二国の世界では、東の海の果てに「蓬莱」と呼ばれる島があると考えられている。人々は皆万能で、金銀玉でできた家に住み、老いることも死ぬこともなく幸せに暮らすことのできる理想郷だという、伝説の国である。この蓬莱と十二国の世界とは、基本的に行き来ができないとされている。
 その伝説の実態は、蝕と呼ばれる異常現象によって繋がった「倭」という国で、現実でいうところの日本にあたる。 →

崑崙

 蓬莱と同様に、十二国の世界では、世界の中央にある黄海を取り囲む山脈のどこかに「崑崙」と呼ばれる丘があると言い伝えられている。こちらも蓬莱と同様に不老不死の住人が生きる理想郷と信じられており、基本的に行き来は不可能である。この崑崙は、蓬莱と対照的に、作中で触れられる機会は少ない。
 その伝説の実態は、蝕と呼ばれる異常現象によって繋がった「漢」という国で、現実でいうところの中国にあたる。 →

 蓬莱と崑崙には「倭」と「漢」という別称がある、ということを楽俊は知っていました。一方で、配浪の里長の発言の中に「倭」(陽子の耳には「日本」と聞こえた)が確認できますが、陽子が発した「中国」という言葉(おそらく里長の耳には「漢」と聞こえた)に対しては首を傾げていました∗2
 もしかしたら、「蓬莱」「崑崙」という伝説上の名称は有名でも、「倭」や「漢」という別称はあまり知られていないのかもしれません。そして、蝕の被害を受けやすい東部沿岸に住んでいる里長は必要に迫られて倭の知識を得ていて、東部沿岸からも金剛山側の地域からも離れた内陸部に住む楽俊は勉学を通じて倭と漢の知識を得たのかもしれません。

∗2
月の影 影の海 (上) , p.102

「蝕は? 蝕を待てばいいんじゃない? そうすれば、帰れる」
 勢い込んだ陽子の言葉に、楽俊はしおしおと首を振る。
「いつ、どこで蝕が起こるかは、誰にも分らない。いや、分かる蝕もあるが、人はあちらに行くことができねえ」
月の影 影の海(下), pp.44-45

 本来行き来ができないはずの蓬莱や崑崙(その実体は現実の日本と中国)と十二国の世界とをつなぐのが「蝕」と呼ばれる異常現象である。蝕は突然始まって突然終わり、大規模な自然災害を起こして周囲に深刻な被害をもたらす。同時に、蝕に巻き込まれて蓬莱や崑崙から人が十二国の世界に流され、十二国の世界に生れるはずの命が蓬莱や中国へ流れてしまう、という被害も発生する。そのため十二国の世界の住人にとって無視できない現象である。
 蝕は天の理の外にあるもので、基本的に、その発生を予測することはできない。だが、発生した蝕が蓬莱と崑崙のどちらの世界とつながったものだったのかということは、蝕の抜けた方向に基づいて推測できる。
 蝕は自然現象であるが、上位の仙や麒麟や一部の妖魔は、月の呪力を借りて意図的に発生させることも可能である。
 また、麒麟に限っては月の呪力を借りずに蝕を起こすことも可能で、これをとくに鳴蝕という。

 なお、十二国の住人が蝕を起こして蓬莱や崑崙へ行ったとしても、胎果など一部の例外を除いて、姿が歪んでしまい不安定な状態でしか存在できない。 →海客・山客・胎果

海客・山客・胎果

「山客、海客に関してはさらにもっと厳しい。普通は浮民扱いだが、巧じゃ浮民以下の待遇になる。反対にうんと良く待遇する国もあるな。奏と雁、漣がそうだ。山客や海客は珍しいものを伝える」
風の万里 黎明の空(上), p.331

海客

 蝕によって蓬莱(日本)から十二国の世界へ流された者を海客という。虚海から流されて大陸の東側に流れ着く事から、海客と呼ばれる。
 十二国の世界の戸籍を持たないため基本的には浮民扱いとなり、学校に行くことや官吏になることはできない。しかし十二国の世界にはない知識や技術を持っている場合は、好待遇を受けることもある。
 奏と雁と漣では、海客への差別がない。巧では、災厄をもたらす海客は死罪とされる。なお慶では、陽子の即位後、海客への規制が撤廃された。

山客

 蝕によって崑崙(中国)から十二国の世界へ流された者を山客という。金剛山の麓に流れ着く事から、山客と呼ばれる。
 十二国の世界の戸籍を持たないため基本的には浮民扱いとなり、学校に行くことや官吏になることはできない。しかし十二国の世界にはない知識や技術を持っている場合は、好待遇を受けることもある。
 奏と雁と漣では、山客への差別がない。∗3

∗3
巧における山客の扱いは海客と同様と思われるが、作中で明記されていないので割愛した。

胎果

 十二国の世界で生まれるはずが、蝕に巻き込まれて卵果が流されてしまい、蓬莱もしくは崑崙の人として生まれた者を胎果という。 →里木・野木・路木・捨身木
 流された卵果は妊娠した母胎に流れ着き、そこで胎殻と呼ばれる肉の殻を被るため、産みの父母の遺伝の影響を受けた容姿で生まれる。しかし胎果が十二国の世界に渡ると、胎殻による容姿ではなく、卵果から生まれたときのものと思われる十二国の世界特有の容姿に変わる。


王と麒麟

「誰がどのように望もうと、どれほど努力しようと、麒麟に選ばれなければ王にはなれん」
月の影 影の海(下), pp.200-201

 世界に12ある国は、天命が下った12人の王によって治められる。王は天の意志を受けた麒麟に選ばれる。麒麟に選ばれたという事実が、天命が下った証である。
 天命が下る条件には、当該国の生まれである事、前王と別姓である事が挙げられる。年齢や性別、地位は問われず、技能や知識の有無も関係ない。 →易姓革命
 王は、天意を受けた麒麟によって選定される。王の選定は大きく分けて2つの形がある。ひとつは、自分こそ王であると考えて麒麟のいる蓬山に赴いた者の中から、麒麟が天命の下った者を見つける形。もうひとつは、麒麟自身が直感を頼りに王を探し出す形である。
 麒麟に選定された者は麒麟と契約を交わし、その後、蓬山で天勅を受けて正式に玉座に就く。このとき、王は神籍に入って永遠の命を得る。そのため、王には老いも病もない。 →神籍・仙籍

麒麟

 麒麟は各国に一人ずつ、全部で12人いる最高位の霊獣である。世界中央の蓬山で生まれ、王を選定した後は、宰輔として王を補佐する。
 麒麟は民意の具現であると言われ、天意を聞き届けて民に慈悲を施す存在である。王と同様に麒麟にも老いも病もないが、例外として、血に病んだり、失道と呼ばれる死に至る病に罹ったりすることがある。失道は、王が道理を失うと罹る病であるため、王が道理を取り戻せば治癒する。麒麟が死ぬと王も遠からず死ぬため、失道の重篤化は王の命も危うくなっている事を示している。一方で、王が弑逆や禅譲によって死んだ場合、麒麟は死なず、次の王の選定に入ることになる。 →神籍・仙籍

人と半獣

「御覧の通り、おいらはハンジュウだ」
「……ハンジュウ?」
「半分、獣。ここ巧国の王は半獣がお好きでない。海客も嫌いだ。あの方は変わったことがお嫌いなんだ」
月の影 影の海(下), p.57

 作中に登場する人の容姿や体格は、髪・瞳・肌の色に多彩なバリエーションが在ることを除けば、現実のアジア人と大差はないと思われる。作中の「三十で登極した者は、その三十年後以降――もしもその者が神籍に入ることがなければ、そろそろ寿命が見えてきたであろうあたりが危ない」∗4という記述から、人の寿命は60~70歳くらいだと推測される。数えで20歳になると成人し、このとき自分の戸籍が与えられ、国から給田があり、社会的・経済的に独立する。

半獣

 人の中には獣の特性を兼ね備えた、半獣という存在がいる。半獣は生まれつき何らかの動物の姿と人の姿の二形を持ち、自分の意志で姿を切り替えることができる。動物の種によっては、人の姿であっても並外れた身体能力を発揮できる。なお獣の姿のままでも、二足歩行をはじめとして、人らしい所作ができる。
 多くの国では半獣は被差別者であり、大昔は人として認められず戸籍すら与えられなかった。現在でも戸籍を与えないのは巧のみであるが、戴においても前王の治世までは戸籍を与えなかった。慶・芳・巧・舜では現在も、官吏になれない、高いレベルの学校に入れない、などの社会的制限がある。また、雁のように制度上は半獣差別がない国であっても、獣の姿をとるのは慎みがないと考える人や、獣としての特性を揶揄する人がいるなど、差別意識が全くないわけではない。
 なお慶では、陽子の即位の翌年に、半獣への規制が撤廃された。

∗4
華胥の幽夢 , pp.308-309

里木・野木・路木・捨身木

「楽俊、これは……」
「これが里木だ」
「里木? あの、卵果が生るという?」
「そうだ。あの黄色い実の中に子供が入っている」
月の影 影の海(下), p.154

 十二国の世界では、動植物は白い木に生った果実から生まれる。この果実のことを、卵果という。卵果が生る木には、いくつかの種類がある。

里木

 動植物が生る木のうち、里で管理されているものを里木という。里祠において祀られている。ほとんどの樹皮が純白で、樹高は2mほど、枝の差し渡しは20mほどもあり、傘のような枝垂れた樹形をしている。
 子供や家畜が欲しければ里木に願い、願いが聞き届けられると卵果が生る。何を願うかによって請願できる日が決まっており、各月の1日は鳥、2日は犬、3日は羊や山羊、4日は猪や豚、5日は牛、6日は馬、7日もしくは9日以降は人を願う。8日は王が新種の穀物を請願する日であり、王が願った後に新種の穀物が里木に実り、以降は種を蒔くことで更なる実を得られる。
 人の子に関しては、里木を管理している里に属する夫婦のみが子を願える。願った証として里木に帯を結び、天帝と西王母に願いが聞き届けられると帯を結んだ枝に卵果が生る。生った卵果は10ヶ月を経て熟すが、熟した卵果は帯を結んだ夫婦しかもぐことができない。もがれた卵果は1晩置くと割れ、子供が生まれる。

野木

 動植物が生る木のうち、野に自生するものを野木という。ほとんどの樹皮が純白で頑健であり、樹高は2mほど、枝の差し渡しは1軒の家ほども広く、傘のような枝垂れた樹形をしている。里木と比べると、樹高に差はないが差し渡しはやや小さい。
 動物が生る野木と植物が生る野木がある。植物が生る野木には、新種の植物を実らせやすい個体とそうでない個体がある。
 野木が見える場所で、生き物を殺したり捕らえたりしてはならない。これは人の社会における決まりであるだけでなく自然の摂理でもあるため、野木の周辺では獣や妖魔に襲われることはない。そのため、旅人にとっては避難所のような役割も果たす。

路木

 王宮の福寿殿に祀られている命を生む木を路木という。樹皮は銀のような白銀色で、低く枝垂れた樹形をしている。∗5
 王が、自らの子や新しい穀物を請願するときは、路木に対して行う。毎月8日は、路木に新種の穀物を願える日である。また、穀物に限らず、新種の植物を願うこともできる。
 路木の枝を挿すことで、その国の里木を増やすことができる。

∗5
原作・アニメともに外見について明確な描写がない。ただし、名称こそ出ていないものの、東の海神 西の滄海 , p.59 に描写されている白銀の木が路木であると推定し、この描写を基に記載した。

捨身木

 世界で唯一、麒麟や女怪の卵果が生る木を捨身木という。捨身木は蓬山にある。ほとんどの樹皮が純白で、樹高は低く、幅は広く、傘のような枝垂れた樹形をしている。根は岩盤の下にある洞窟内部に垂れている。
 請願によってではなく、麒麟の逝去に伴って当該国の新しい麒麟の卵果が生るようにできている。麒麟の卵果が生ると、その枝と対をなす根に麒麟の世話をする女怪の卵果が生り、女怪の卵果は一夜にして孵る。麒麟の卵果は人と同様に10ヶ月の期間を経て熟し、女怪によってもがれる。

 陽子が十二国の世界に来て彷徨っていたときの描写に「白い樹の下にいると、どういうわけか妖魔の襲撃が間遠だったし、野獣の襲撃はほとんどなかった」∗6とあり、塙王の意志が及ばない野獣であっても襲われることが「全くない」わけではなかった事が判ります。また、国氏が変わるほどの王の罪に関して語られた場面では、「時の代王が、失道によって麒麟を失い逆上し、次の麒麟の生誕を阻もうとして蓬山に乱入、女仙の全てを虐殺して捨身木に火をかけた」∗7とあり、火をかけることができたということは、代王は捨身木に生っている代果を守る女怪に対しても殺傷行為を行った可能性があると言えます。
 これらの事を考えると、命が生る白い木の近くで殺傷行為が全く行えないわけではないのかもしれません。

∗6
月の影 影の海 (上) , p.231

∗7
黄昏の岸 暁の天 , p.287


神籍・仙籍

「仙は王が任じます。普通、王のそば近くに仕える者や、州侯、州侯の側近はぜんぶ仙です」
「王様だけ長生きでも仕方ないですもんね」
風の海 迷宮の岸 , p.287

 王は選定されると神籍に入る。また、王に仕える官吏や蓬山で麒麟を世話する女仙などは仙籍に入る。
 神籍や仙籍に入った者の特徴として、齢をとらない、病に罹らない、怪我を負いにくい、言葉に不自由しない、などが挙げられる。ただし、首を撥ねられたり胴を両断されたりすれば絶命する。

神籍

 作中で明確に神籍に入っていると判るのは、王と麒麟である。
 王は即位すると神籍に入り、人としての戸籍を失う。その際に即位した国を表す氏を得る。退位して神籍を抜けると死亡する。これは、尚隆によれば「王になるということは死んで神に生まれ直すということ」∗8であり、人に戻ることができないからである。
 麒麟は戸籍を持たないが、卵果の時点で自らが属する国を表す氏を得る。他の神仙と同様に病に罹らないが、失道と呼ばれる麒麟特有の病気がある。この病名は、自らが選定した王が道理を失ったときに罹ることに由来する。 →王と麒麟

∗8
月の影 影の海 (下) , p.204

仙籍

 仙籍に入っている者は、仙と呼ばれる。仙には天仙・女仙・飛仙・地仙があり、天帝がいる玉京に仕える者を天仙、蓬山の女神に仕えて麒麟を世話する女性を女仙、自力昇仙した者もしくは王によって昇仙しても国政に関わらない者を飛仙、王によって昇仙して国政に関わる者を地仙と呼ぶ。
 仙籍は神籍と違い、出入りが可能である。仙籍から抜けると只人に戻る。

 仙籍にある者が死ぬと仙籍から自動的に名前が消える、と作中で記述があります∗9。この事から、仙籍にある者の名前が記載された名簿が存在し、その名簿には何らかの呪術が施されていると推測できます。
 また、自分の仙籍が削除されることを恐れた鈴に対し、黄姑が「〔仙籍から削除するのは〕仙君から依頼を受けて、私が行なうこと。もしも翠微君からそのように依頼があっても、決して削除しないと約束しましょう」∗10と言ったことから、王には仙籍の記入だけでなく削除にも特権があると判ります。
 さらに、偽王勢力と対立していた李斎が仙籍から抜かれることがなかった一方、祥瓊が白雉の足で押捺された文書を以て仙籍を剥奪された事から、王の御璽かそれに代わる白雉の足を使わなければ仙籍の記入や削除ができないと考えられます。

∗9
風の万里 黎明の空 (上) , p.124

∗10
風の万里 黎明の空 (上) , p.125
〔〕内は筆者による補足。

 人には位がある。王、公、侯、伯、卿、大夫、士の七がそれである。伯には伯と卿伯の二位があり、大夫と士には上中下の三位がそれぞれある。都合十二位によって有位の人間は分かたれていた。
風の万里 黎明の空(上), p.117
国府における役職の例
国府以外の役職の例
宰輔∗11
冢宰∗12三公∗13
州侯∗14
(王の縁者∗15
五山に仕える女仙男仙および自力昇仙の仙∗16
卿伯
六官長∗17牧伯∗18
令尹∗19、王の勅免によって昇仙した飛仙∗20
禁軍将軍∗17
――
上大夫
――
――
中大夫
遂人∗12少府∗21大胥∗22
――
下大夫
朝士∗12大僕∗23司刑∗18∗24保衡∗25
少府∗21郷長∗26
上士
司声∗27
飛仙に仕える下仙∗20∗28
中士
宮卿補∗24迹人∗29寺人∗27∗30女御∗27∗30
――
下士
――∗31
――

 →【官職一覧
 →考察>02. 州冬官長「司空大夫」の位は上大夫であるか

∗11
東の海神 西の滄海 , p.30

∗12
東の海神 西の滄海 , p.45

∗13
風の万里 黎明の空 (上) , p.166

∗14
月の影 影の海 (上) , p.154

∗15
風の万里 黎明の空 (上) , p.117

∗16
風の万里 黎明の空 (下) , p.113

∗17
東の海神 西の滄海 , p.205

∗18
東の海神 西の滄海 , p.214

∗19
東の海神 西の滄海 , p.107

∗20
風の万里 黎明の空 (上) , p.118

∗21
丕緒の鳥 , pp.254-255

∗22
十二国記アニメ脚本集 (5) , p.323

∗23
黄昏の岸 暁の天 , p.31

∗24
丕緒の鳥 , p.90

∗25
白銀の墟 玄の月 (二) , p.325

∗26
風の万里 黎明の空 (下) , p.52

∗27
白銀の墟 玄の月 (二) , p.323

∗28
風の万里 黎明の空 (上) , p.118 の記述によると、飛仙に仕える下仙の位は、上士以上卿以下である。

∗29
丕緒の鳥 , p.180

∗30
小説の描写では、所属が国府か州府かはっきりしない。ここでは、とりあえず国官とした。

∗31
華胥の幽夢 , p.191 の記述によると、大学を終えた者が国府に入る場合、下士に登用される。

身分と礼と差別

「どうして自分には絹の綺麗な襦裙が貰えて、どうして恵花には同じものが与えられないのか、あたしとても不思議だった。どうして恵花は一緒に食事ができないのかしら、どうして恵花の住まいは主楼にないのかしら、どうして同じ厨房で作られるのに、恵花の食べるものはあたしの食べるものと違うのかしら」
図南の翼 , p.343

 十二国の世界には身分制度がある。最上位から最下位まで12ある階位に就いているか否かで、生活の程度に大きな違いがあり、衣食住にまで顕著な格差が現れる。 →
 無位の者は有位の者に礼を示さなければならないし、有位の者同士でも位の上下に則って礼を示さなければならない。また、役所や王宮などで立ち入れる場所や使用できる通路にも違いがある。けれども、帷湍が遂人だった当時、中大夫であるにもかかわらず「王の寝所に立ち入り、禁門を使用し、内宮の奥まで騎乗して行くことができ、王の前で平伏しなくてもいい」∗32と位に見合わない特権を与えられていたように、互いの関係性によって礼の省略が認められている。
 作中で確認できるジェスチャーとしての礼については、別ページにまとめる。(叩頭礼、伏礼、跪礼、立礼、拱手について記載) ……準備中……

 また位の有無とは別に、半獣か否かや、戸籍の有無に基づく差別が存在する。これは法制度上で明確に対応の違いが示されている場合もあれば、法制度上は平等であるにもかかわらず偏見によって扱いの違いが生じてる場合もあり、国や当事者たちの思想感情によって事情が異なる。 →人と半獣
 戸籍が無い者を総じて浮民といい、これには、逃亡生活をしている犯罪者、争乱などで土地を捨てて逃げた難民、海客や山客など、いろいろな背景を持った者が含まれる。浮民であるということは余所者ということであり、滞在地の行政サービスを受ける権利もなければ職につける保証もないため、治安を乱す要因になりかねない。そのため、浮民は疎まれがちである。
 身元を証明する旌券を所持していれば土地に帰って生活を取り戻すことができるにもかかわらず、好んで土地と旌券を手放して独自の社会を築いて生きる浮民もいる。国に属して生活している一般的な国民は、こういった浮民を特有の品や情報などを流してくれる貴重な交渉相手として重宝する一方で、差別の対象として扱う傾向にある。

∗32
東の海神 西の滄海 , p.38

名前

「蘭玉っていうのは、字?」
「ううん。名よ」
「こちらにはたくさん名前があってややこしいな」
 陽子が本当に途方に暮れたように溜息をつくので、蘭玉は思わず笑ってしまった。
風の万里 黎明の空(上), p.225

名称 概要
せい。戸籍に記載される苗字。生まれたときに得た姓は一生変わらず、結婚により戸籍を統合しても、離婚により離籍しても、同じままである。子が生まれると、両親のうち統合されたほうの戸籍の姓を継ぐ。
戸籍に記載される名前。古くは、決して名を呼ばなかった。現在も昔気質の者は名で呼ばれることを嫌う。
し。成人してから自分で選ぶ、日常で使う苗字のようなもの。結婚によって姓が変わることがないので、家族をひとつの共同体としてまとめるときに氏を使う。
あざな。通称。あまり独創性がない物が多く、同じ字の者も多い。
別字 べつじ。上記の字とは別にできる字。こちらのほうが通りがよくなった結果、字に替わって通称となることもある。
小字 しょうじ。幼い間に使われる字。
おくりな。死んだ王に付けられる号。


玉京と天の神々

「神の世界があるんだと思う。伝説では天帝は玉京におられ、そこで神々を束ね、世を調えると言う。本当に玉京があっても、俺は驚かない」
黄昏の岸 暁の天 , p.292

 十二国の世界には、玉京という伝説の地がある。玉京は天帝がいる所で、そこから神々を束ねて世を調えているといわれている∗33。また、神々が住む所であるという伝説もある∗34
 おなじく伝説上の場所として蓬莱と崑崙が挙げられるが、玉京は所在どころか実在するのかすらあやしい。これは、蓬莱と崑崙は海客と山客という存在を通して実在性が保証されている一方、玉京はそこに住む神々が人と接することがないからだと考えられる。
 なお、十二国の世界の住人全てが玉京や神々を信じているわけではない。珠晶が「庠学の老師は、神様などいないと言っていたわ。それは人の想像の中にしかいないのよ。それって単なる伝説でしょ?」∗35と言っていたように、神々は想像の産物であると考える者もいる。

 上記のとおり、人によって玉京や神々の存在を信じていたり信じていなかったりするが、碧霞玄君が「天には天の道理がある。玉京はその道理を通すことが全てなのじゃ」∗36と断言している事から、この世界には玉京が実在すると判る。また、西王母や犬狼真君など、神として信仰されている存在が小説に登場している事から、神々も実在すると判る。
 なお、公式アニメガイドでは、「天帝がいる玉京に仕えるものを天仙」∗37という事が書かれており、ここでも玉京の実在が明示されている。ただし小説では、天仙については「飛仙みたいなものだ、と言っておこうかな」∗38という台詞以上の説明はない。

∗33
黄昏の岸 暁の天 , p.292

∗34
図南の翼 , p.55

∗35
図南の翼 , p.350

∗36
黄昏の岸 暁の天 , p.394

∗37
十二国記 公式アニメガイド , p.40

∗38
図南の翼 , p.366

天の摂理

「この世には天の定めた摂理がある」
「それは知っているが……」
「漠然と分かっている、だろ? これは、そういうことじゃないんだ。摂理という枠組みが世界には、ある」
黄昏の岸 暁の天 , p.284

 十二国の世界には、天が定めた摂理が存在する。これには、天綱という形で明文化されたものだけでなく、天綱には記されていない、普通では王や要人すら知らないものも含まれている。
 天の摂理については、上の引用部分の他、「俺たちは天の条理がものすごく教条的に動くことに気づいていた」∗39という延麒の発言、「天は人間が考えているより、はるかに教条的に動くんだよ。形に拘り手続きに拘る」∗40という琅燦の発言がある。このことから、すでに設けられた枠組みとしての摂理があり、当事者の事情を考慮することなく、条理に則って厳格に運用されていると考えられる。
 また、諸国が協力して戴を救うことについて、天の摂理に抵触するか質問された碧霞玄君が「確認してみよう」∗41と言い残して姿を消した事や、質問に答える際に文言や記述について配慮していた事∗42などから、天の摂理は成文化されていると考えられる。

 なお、この摂理から外れた存在が蝕と妖魔である。 →

∗39
黄昏の岸 暁の天 , p.290

∗40
白銀の墟 玄の月 (二) , p.196

∗41
黄昏の岸 暁の天 , p.283

∗42
黄昏の岸 暁の天 , p.396


中国思想

「木生火だからな。禅譲ってやつだ」
 陽子は息を吐いた。
「……こちらには分からない風習が多いな」
風の万里 黎明の空(上), p.57

 作中には中国思想に通じる考え方が散見される。そこで、作中で見られた中国思想について別ページで解説する。(五行陰陽五行と十干十二支八卦四神と方位易姓革命陰暦について言及した。)